常識って言葉。親とか年配の人に説教される時によく出てくる気がする。僕はこの言葉はあまり好きじゃない。
辞書で引くと
”一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。「―がない人」「―で考えればわかる」「―に欠けた振る舞い」「―外れ」”
一般の社会人って?? 普通って??
地域で通用する常識が、それよりも広い範囲で通用しないことも多々。 個々の企業内、ひいてはサークルやクラブなんかの狭いコミュニティだけで通用する常識もあると思うし、日本全国で通用する常識が世界で通用しないことも同じく多々。 だから『常識で考えろ!』という説教は極めてあいまい。
狭いところを飛び出して広いところへ出た時に感じられる感覚な気がする。
特に海外へ行っていろんなものを見ると、まったく正反対なことが常識だったりすることもよくあるわけで、それを強く感じられる気がする。
だから常識とは”共通に持つ”ものであるけれど、範囲によって同じではないという認識が必要なのだと思う。それを認識していない人に常識をおしつけられることほど僕にとって苦痛なことはない。
常識という言葉を使うときは、『○○の常識で考えろ。』というように範囲を明確に示せばすっきりするかもね。 そもそも、狭い社会の中だけで”共通”なものを”常識”と表現することは表現方法として正しいのだろうか?語学学者に聞いてみたい。
日本ではトイレを使っていない時は戸や扉を閉めておくのが常識。アメリカでは開けておくのが常識。
常識とは共通であって共通でないものじゃないか。
子供が(大人でも)『みんなもってるから買ってよ!』の”みんな”と似てる気がする。
だけど別に常識なんて必要ないとか言ってるわけでなく、例えば地域社会で人に迷惑をかけず生活をするならばその地域での常識というものはもちろん必要だし、自分が所在する社会での常識を無視してその社会にはいられないから必要なことだとは思う。ただいろんなものの見方考え方があるということは認識してないと逆にただの世間知らずとも言えなくはない気がする。
無視はせず、かといってとらわれすぎたりしてもいけないと思う。
こんなブログを書いたからって、別に誰かの常識を押しつけられたりしたわけじゃないないです。
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