僕の活動の母体はこちらです。 RQ市民災害救援センター 現地活動本部: 宮城県登米市
※今後より被災地に近い所への活動拠点の増設が予定されています。現在は登米市以外に2か所。
4月16日(土)、17日(日)でまた活動するつもりです。もし、同行希望者がいなければ18日(月)から22日(金)の予定で活動する予定です。
ボランティア志願の君へ by ホーボージュン(抜粋)
原文はコチラ http://hobo.air-nifty.com/hobodays/2011/04/post-8797.html
■「ボランティアお断り」と被災者から言われないために。
震災から1か月あまりたち、各種の交通機関が復旧すると、神戸にものすごい数のボランティア志願者がやってくるようになった。
このころマスコミ各社が連日ボランティアを取材し、その活躍を英雄のように賞賛したこともあり、ボランティアルームも毎日数百人もの志願者でごった返した。
後年の統計によるとこの年に被災地を訪れたボランティアは延べ138万人にも登ったという。そのため95年は「ボランティア元年」と呼ばれている。
しかしこれだけ数が増えてくると、美談ばかりでなくいろいろと困った問題が噴出した。ボランティアのほとんどは善意と正義感に満ちた素晴らしい人だったが、なかには被災者から「もう帰ってくれ!」と怒鳴られるようなひどいヤツもいた。ボランティア同士の揉め事もけっこうあったし、激怒した被災者グループがボランティア(と名乗る連中)に石を投げつけている場面を実際に目撃したこともある。
幸か不幸か僕は個人ボランティアを束ねるような立場になってしまったので、何千人ものボランティアたち、そして“自称ボランティア”たちとディープに関わることになった。その経験をもとにここでは反面教師として「困ったボランティア・ワースト3」を揚げておく。
1位・自己完結していないヤツ
ボランティア希望者の中には「メシはどこで貰えるんですか?」とか「僕のテントはどれですか?」という質問を真顔でしてくるヤツが山ほどいた。そういうヤツはテントやシュラフはもちろん、食糧も飲料水も持っていない。自分は無償で働くのだから、食事と宿泊は用意されて当然だと思っているのだ。
その想像力のなさには絶句するしかない。これは通常のボランティアじゃないのだ。何万人もの人が死んでいる災害地での救援活動なのだ。まずはそれを肝に銘じて欲しい。
アウトドアーズマンのキミには改めて言うまでもないことだと思うが、もしこれから現地入りするなら必ずテントとシュラフと調理器具一式を携行し、滞在日数分の食糧と飲料水を自前で持っていくこと。
いまも、東北では「一日におにぎりひとつ」というような苛烈な環境下に置かれている避難所がたくさんある。だから僕ら災害ボランティアは配給の弁当や炊き出し、物資として届けられたミネラルウォーターなどには絶対に手をつけてはいけない。
また、夜寝る場所にもぜひ気を配って欲しい。屋根があって乾いた場所というのは、被災者のためのスペースである。彼らはプライバシーもない狭い空間でなんとかやりくりしているのだ。僕らには帰る家があるんだし、被災地にいるのはほんの数日間だ。だから自分は屋外にテントを張って寝よう。
もちろん支援団体の中にはボランティア用のテントやプレハブ、毛布などを用意したり、給食や炊き出しをする団体もある。でも基本は「自己完結」。被災地に負担をかけるのだけはやめて欲しい。
2位・自己陶酔しにくるヤツ
神戸にいたとき、被災地の避難所まわりで一番キツイ仕事は便所ボランティアだった。長田区の場合は電気の復旧はかなり早かったものの、水道の復旧には相当な日数がかかった。この間、水洗トイレが使えないので、被災者の方には便器は使わず、個室で新聞紙を広げその上に用を足して貰うようにした。この事後処理が本当にタイヘンなのだ。
ボランティア希望者はたいてい「なんでもします!」と言う。そのくせ便所ボランティアをお願いすると「いやあ、それはちょっと……」とか言って逃げてしまうヤツがじつに多かった。
こういった“自称ボランティア君”はたいてい自分のイメージしたカッコいいボランティア像(……たとえば家の修理とか、物資配給とか、被災者の話し相手とか)を持っていて、それを実現しにやってくる。被災者のためではなく、自己陶酔とか自己実現のためにくるのである。だからウンコにまみれたり、腐敗ゴミを仕分けたり、汚くてスポットライトのあたらない仕事をお願いすると極端に嫌がるのだ。
まあ、せっかくボランティアに来たんだから現地でいい思い出を作ったり、感動的な体験をして帰って欲しいと僕も思っている。でもやっぱり僕らが被災地で第一義に考えるべきは「被災者のため」だ。
自己陶酔や自己実現は別の機会に回そうぜ。
3位・勝手に倒れるヤツ
これは自分への戒めとして書く。じつは僕は神戸滞在中に何日間かぶっ倒れて寝込んでしまった。過労がたたって、風邪をひいてしまったのだ。これは完全に自分のミスだ。自覚が足りなかった。
ボランティアが病気になると、被災地に大きな負担がかかる。病人を寒いテントや廊下に寝せておくこともできないから、看病のための暖かい場所や寝具が必要になる。ただでさえ混んでいる病院をよけいに混雑させてしまう。また貴重な薬や医療品を消費する。そしてボランティアの看病のために(医師や看護師さんなどの)ボランティアが必要になる。本来はすべて被災者のために用意したモノなのに……。ホントにろくなもんじゃない。
だから健康管理にはじゅうぶん気をつけよう。体力のギリギリまでがんばるなんてもってのほか。被災地で勝手に倒れてはいけない。家に帰ってから寝込むべし。
■燃え尽きないこと。
■多くを抱え込まないこと。
そんなふうに活動しながら、けっきょく僕は4月になるまで神戸にいた。いつのまにか、抜けるに抜けられなくなってしまったのだ。
こういう極限状況での生活が長くなると、いろんなことを体験する。僕自身にも、そして僕のまわりでも、本当にいろんな事が起こった。それを書くだけで一冊本が書けるほどだ。
そのなかからキミにどうしても話しておきたいことがある。
それは「どうか燃え尽きないで欲しい」ということだ。
実際の被災地はテレビの映像で見るよりも遙かにむごたらしく、深刻で、衝撃的なものだ。きっとキミは、おそろしい恐怖と絶望感を味わうことになるだろう。被災地の現実はあまりに厳しく、キミにできることなど「無」に等しい。
そんな中で長い間働いているとこちらまで精神的に参ってくる。知らない間にジワジワと弱ってくる。喜怒哀楽が激しくなり、感情のコントロールが効かなくなる。やがて無力感や脱力感にさいなまれ、どうしようもない自己嫌悪に陥ってしまう。
僕は一時期、ひどく深い穴に落ち込んでしまったことがある。イライラしてスタッフに当たり散らしたり、被災者の人と会うたびオロオロと泣いてばかりいたり、最後は自分のテントから外に出られなくなった。ハッキリ言ってかなり異常な精神状態に追い込まれた。
こういうことは、決してめずらしくない。とくに性格がまじめで正義感の強い人に多い。被災者のつらさや悲しみに自分がシンクロしてしまう。自分の心の中に多くのものを抱え込みすぎてしまう。長期ボランティアの中では「燃え尽き君」などと呼ばれていた。
こういうときの解決方法はたったひとつ。それは被災地を離れることだ。それしかない。
悲惨な現場というのは人間のすべてを飲み込む。いくらカラダを休めても、心までは休まらない。まずはいったん撤退して、悲しみを遮断すること。そして気持ちをリセットしてからもう一度ボランティアにでかければいい。
■過度に私生活に踏み込まないで。
■キミはある日いなくなるのだ。
長くボランティアをしていると、被災者の人たちと個人的に仲良くなる。なかにはまるで家族のような関係になる人もいた。僕の仲間には復興支援のために神戸に移り住んだり、ボランティアをきっかけに地元の人と結婚した人もいる。喜ばしい話だし、そういう人の深い愛情には心を打たれる。
でも残念ながらそれとは逆の現実を見ることもあった。たとえば被災者とものすごく深く付き合っていたはずのボランティアが、ある日突然一方的に関係を切ったりするのだ。
僕の知っているあるボランティアは、誰にも何もいわず突然消えてしまった。噂によると彼はまったく別の災害地に向かったらしかった。避難所で彼と仲のよかったおばあちゃんから「最近見ないけど、○○さんはどうしているの?」と淋しい顔で聞かれたとき、僕はどう言っていいかわからなかった。
人と人との関係は、それぞれだ。外野がどうこういう話ではない。でも被災地の人間関係はとてもセンシティブだ。お互いのプライベートまで踏み込むような過度の同情やシンパシーは、控えたほうがいいかもしれない。少なくとも短期のボランティアの場合は、人の人生に踏み込む行動はやめた方がいいと思う。
そのあたりはひとりの人間としてキチンと考えてほしい。
■ボランティアの後方支援も
■立派なボランティアだ。
神戸に入って1か月ほどたったある日、東京の友人が義援金を届けてくれた。数十万円の郵便貯金だった。バイク仲間やアウトドア仲間に声をかけて集めてくれたという。僕はありがたく頂戴し、日本赤十字社チームに渡そうとした。ところが彼は「違うよ。これは被災者への義援金じゃなく、ジュン君たちボランティアに使ってもらうために作った金だ」といった。
驚いた。ほんとうに驚いた。
正直言ってボランティアには金がかかる。その期間はまったく収入がないし、活動費や滞在費がどんどん出て行く。それを覚悟で来ているのだが、現実的にはカツカツで、金の心配はずっと絶えなかった。だからこのお金は涙がでるほどありがたかった。僕やスタッフが長く被災地に留まりそこで働けたのは、仲間が作ってくれたこの金のおかげだった。
この基金を呼びかけてくれ友人はカメラマンの山田周生さんだ。彼は使用済みの食用油で走る「バイオディーゼル車」で世界一周を成し遂げた冒険家でもある。
先日ニュースで知ったのだが、周生さんは今、バイオディーゼル車と天ぷら廃油カーで東北の被災地を回りながら、ボランティア活動を行っているそうだ。
今度は僕が後方支援をする番だと思っている。東京でガンガン金を作って、彼らをぜひとも助けたい。
ボランティアというのは被災地でカラダを動かすことだけじゃない。ボランティアが頑張れるように力を出すのも立派なボランティアだということを、キミにはぜひ知っておいて欲しい。
■東北を忘れないで欲しい。
■その気持ちを持ち続けてほしい。
最後にお願いしたいことは「どうかいまの気持ちを持ち続けて欲しい」ということだ。
未曾有の大災害を前に、キミは今、何かをしたいと思っている。自分も東北のために、被災地のために働きたいと思っている。その気持ちを今だけでなく、3カ月後、半年後、1年後、5年後も持ち続けて欲しい。
日本人は熱しやすく、冷めやすい。そしてどうしようもないほどマスコミ報道に左右される。残念ながらあと数カ月もすればテレビ番組はまたお笑い番組とバラエティに染まるだろうし、被災地であれほど悲痛な叫び声を上げていたテレビレポーターたちも、きっと次のトピックに群がることだろう。
神戸の時も
そうだった。ある日を境に忘れられた。
それは95年3月25日のことだ。東京で「地下鉄サリン事件」が発生したのだ。
この日以降マスコミ報道はオウム真理教一色に染まり、5月16日の第6サティアン強制捜査と麻原教祖の逮捕の瞬間まで、連日連夜の報道合戦が続いた。
神戸のニュースはどこかへ吹っ飛び、東京では人々の話題に上ることが少なくなった。
同時にボランティアブームは潮が引くように後退し、あれほどいた“自称ボランティア”たちはどこかへ霧散してしまった。
今度の東日本大震災は、災害の規模も、復興までの道のりの厳しさも、阪神大震災を遙かに凌ぐものになると思う。だからぜひ、忘れないで欲しい。被災地を見捨てないで欲しい。長い支援を続けて欲しい。
現地でボランティアの手が必要になるのは今だけじゃない。それどころか、仮設住宅が建ち始め、被災者が避難所から自宅に帰るころのほうが片付けや手伝いに今の何倍もの人手が必要になる。3カ月後、6カ月後、1年後、5年後にもボランティアの力が必要なのだ。
だからなにもいま慌てて現地に行かなくていい。それよりもその気持ちをどうか長く持ち続けてほしいと思うのだ。
いま僕たちの国は大きな危機に面している。日本という国が沈んでしまうような巨大な危機だ。
ここを乗り越えていくのは、けっきょくは人の力だ。僕らがみんなで持てる力を出し合うしか、道はない。この国の未来は僕らの手の中にある。
何ができるのか、何をすべきなのかは人それぞれだけれど、僕らひとりひとりには必ずなにかの“役目”があるはずだ。いまはその役目を果たすことに、ひとりひとりが一生懸命になるしかない。
僕は僕の役目を果たそうと思う。
キミもどうか頑張って欲しい。
2011年3月27日 ホーボージュン
次の予定があったら、ぜひ同行させてくれ!
次回参加したいけど、多分現場のピークと重なる。
またの機会を狙うよ。
行ける日連絡くれれば日程調整するよ。